貧血ぎみ

赤いネットにぎっしり詰まった栗を見かけては、今年の秋は何回栗を食べれるだろうと考える。甘いマロンじゃなくて、皮つきの生栗を煮て、食べるのが好きだ。包丁で半分に切って、スプーンで実をすくって食べる。ほじくられた皮の残骸が無造作に捨て置かれていくさまは、おにばばにも見えるのでOさんに見せたことがなかった。だから、Oさんは私が栗を好きだなんて知りもしなかったのだ。買ってきた栗を煮てザルにあげたら、まだ生っぽかった。がっかりして、電子レンジでチンしてみようかと、深皿に入った大量の栗をレンジの中に入れて扉を閉めて、少し不安になってはじけ飛びはしないかとOさんに聞いてみたら危険だと言うから、急いでとりけしを押して止めた。皿いっぱいの栗がはじけ飛んだら、大きな音を立てて電子レンジの扉がひしゃげてしまう。明日また、煮る続きをしようと思う。
疲れやすく頭痛もひどく口内炎もできて息切れもする。これは貧血だと思う。貧血だと思うと医者に言ったのに、違うと思うと言い返されてとりあえず採血だけして帰ってきた。結果が出るまでどうしようもないと言うから、来週の結果までどうしようか途方にくれた。適度な運動のために階段を使うのが習慣で、エスカレーターと階段が目の前にあると、スルスル階段のほうにひかれてしまう。今回も階段を上って、あっと思って振り返ったら、エスカレーターは長蛇の列で、なんでみんな長蛇の列でもエスカレーターに並ぶのか、これも習慣でズルズルエスカレーターにひかれただけなのだと思う。階段を上ると息切れがした。頭も痛いし、貧血に違いないのに腹が立つ。腹が立つけど長続きしない。貧血のいいところは、なんだかぼんやりとするところだ。脳を使うには酸素が必要なので、酸素が運ばれないと、思考なんて放棄してもいいかなという気分になる。考えても頭がガンガンしきて、また明日にしようかなと思う。人と話していてもぼんやりして、とりあえずうんうん言って、そのうちめんどうくさくなって、じゃあまた連絡するとかになる。実は、このブログもいつもの倍くらい時間がかかっている。Oさんは、寝ないで起きているので、早く書き終わらなくては申し訳ない。申し訳ないけど、申し訳ないと思うのもどうでもよくなって、しょうがないかなという気分になる。最近の若者は内向的で海外にいかないとニュースになっていて、これも貧血による意志の弱さかと考え始めて、そんなわけないしこの発想を発展させていく気力もないので、心もなんだか穏やかで、貧血も悪くないものです。ただし、頭がガンガンする。