親切

私は今、親切を仕事にしています。親切っていうものはなかなか難しくて、下手すると大きなお世話になってしまうのが常なのです。だから、大きなお世話にならないように細心の注意を払って親切をするのが、現在の仕事です(非常勤)。細心の注意を払って親切をするってのは、自分が相手より正しい立ち位置にいないとなかなかできないものです。正確には、正しいか正しくないかは答えがないのですが、同じ表面で対話をしてしまうとこじれてしまうので、表面の奥にある根っこを見る努力をしなければならない。本人さえも分っていないかもしれない言動の理由を解釈して、善意の形をとって返していかなければならない。対等なのですが、対等じゃないのです。学校でヒマだったのでネットで性格判断テストというのをやってみました。そしたら、結果が、「あなたはなかなか性格のよい人です。でも、こじんまりとまとまっています。5人の敵がいれば、10人の味方がいる程度です。」と書いてありました。わたしは、気持ちがもやもやして、もやもやがイライラになって、やってられないと思い始めました。なめられていると思いました。実は、となりの席の男子は同じクラスの女子と付き合っているのです(教えてもらった)。わたしがその男の子と話しが盛り上がると、女の子がチラッと見るので、その上そのチラッに気づいてしまいますので、気を使って話しをセーブしたり、なんやらかんやら疲れるのです。でもその時の私は、なかなか性格のよい人ですなんてもんにはなりたくなくなったのです。人から悪口を言われるような人物になってしまいたかったのです。なので、となりの男子と盛り上がることを解禁したのです。正しいか正しくないか、善人か悪人か、なんてものはどうでもよくて、対等な、同じ表面で話せるような、そういうのは気分がいいものだと思ったのです。帰ってきたら、うちのベランダの下で、野良猫が寝そべっていて、こっちを見ていた。夕方にもなると、風が少しは涼しくなってきて、夏の疲れで体がだるい。
となりの男子が、吉村さんは優しいですね、誰に対しても優しいですね、と言った。
入ったドトールは、もうすぐ閉店のお時間ですがよろしいですか?と聞いてきた。あとどれくらいですか?と尋ねたら、あと10分くらいですと答えた。大丈夫ですと返事をして、7分間ドトールでカフェラテを飲んで店を出た。この町の唯一のホームレスがタバコを吸っていた。前を歩いていたおじさんが小さな門をくぐって玄関に入っていった。うつむき加減で、ちび、ちび、と名を呼ぶので、多分、時々見かけるしっぽの短い猫だろうと思った。ちびの姿は暗くて見えなかった。ベランダの下で、野良が寝そべっていた。わたしが通りかかると半身を起こしてこちらを眺めている。わたしは、わたし以外の誰かと(動物の誰かと)同じ場所を共有しているのが、気分が良かった。夜に猫の泣き声がかすかに聞こえて、ベランダに出ても何も見えない。猫たちは、たまにしか姿を見せない。

おじちゃん

住宅街の坂を上ったらだんだん急になってきて、90度近くまでそりあがってわきにあった草につかまりながら這い上がった。這い上がったら、何かを手渡されああうれしいいなと思った。夢だったから、何を手にしたのか忘れてしまった。よく考えたら、近所のカフェで見たマンガの中に描いてあった場面に良く似ていた。
学校には、愚痴ばっか言っているおじちゃんがいて、となりの席の人に疎まれて、そのとなりの席の人は私のとなりの席に席替えとなった。その事情を知ったら、わたしはおじちゃんが気になり始めてしまった。おじちゃんは必ず笑いながら愚痴を言う。笑いながら先生の質問に答えるし、笑いながらタバコを吸って、笑いながら身の上話をする。スリッパは脱ぎっぱなしで、裏返って転がっている。私が一度、なんで脱ぎっぱなしなんですかと聞いてみたら、やっぱり笑っていやいやといいながら、スリッパをそろえた。それ以来、私の前ではスリッパをそろえて見せるけど、それ以外は相変わらず入り口に転がっている。おじちゃんは声がでかい。昼休みはみんないなくなるから、おじちゃんの話が盗み聞きできる。おじちゃんは長屋に住んでいる。賞味期限が切れた食べ物は、野良猫にあげて様子を見るんだ、と言った。最近は猫も無職だと理解したらしく、食べ物をあげないと、しばらく見上げたあと、帰っていくんだ。今朝、脚長バチが家の中に入ってきた。まだ家の中にいるので、家に帰るのが嫌だ。無職だと思って、ハチまで俺をばかにする。話し相手が、ゴキジェットで殺せばいいじゃんと言ったら、殺すのはかわいそうだとおじちゃんは言った。わたしは、おじちゃんと恋愛関係になったらどんなものか想像してみた。会話はかみ合わないだろう。一緒にも住まないだろう。野良に、賞味期限の切れただし巻き卵をあげるだろう。笑いながら人生の愚痴を聞かされるはめになるだろう。おじちゃんには、意味なんて必要ないだろう。

カナブンのような虫

朝、学校に行く道で虫を踏んだ。枯葉を踏むような乾いた音がして、小さな実を踏んだ感触があった。なんとなく違和感を感じて振り返ったら、色あせた薄茶色をしたカナブンのような虫が、羽がつぶれて、道路にくっついていた。わたしは足の裏がムズムズして、ひどい気分になった。早く忘れてしまおうと思って授業の事を考えたのに、子どものころ、ベランダで青虫を踏んだことを思い出した。しばらくベランダに寄り付かなかったら、青虫の死骸は一回も見ないうちに消えていた。家で飼っていた他の虫も、飼育放棄をしていたら死骸を見ないうちに消えていた。学校のはめ殺しの窓から、ひっくり返ったせみの死骸を見かけた。うちにある植物は、枯れるのと勢いを増すものの二極化している。夏もピークを越したから、勢いもおさまるのだろう。そういえば、父はよくベランダを掃除していたから、青虫の死骸も撒かれた水で流されていったのだ、きっと。

気になる音

訓練校で私の席は、一番前の右端になります。簡易型の長テーブルにふたりずつ並んで座っています。私のちょうど前は、先生の控え席になっています。今日席に着いたら、ブーーーッとモーターのなる音が聞こえました。気になって音の先を探すと、先生の机の上にモーター型の小さな扇風機が高速で回っていました。私はイライラしました。私はモーター音が嫌いなのです。換気扇の音も嫌いです。掃除機の音も嫌いです。授業が始まっても、扇風機は回り続けました。となりの席の人に、そっと「あの扇風機うるさくない?」と尋ねてみましたが、首をかしげて「聞こえないけど」とそっけなく否定されてしまいました。わたしは幻聴の苦しみが分った気がしました。他人には聞こえなくても、不快音は私の脳みそを占拠しているのです。授業など身に入りません。椅子を何度も座りなおしました。音から少しでも離れようと、後ろのほうに反り返ってもみました。でも、だめです。脳みそが、あの音を記憶してしまったのです。授業が終わって、先生に申し出ました。申し訳ありませんが、その扇風機の音が気になって授業に集中できないんです。よかったら、席替えしてもいいです。先生は、苦笑いして、扇風機を止めてくれました。幻聴でなくてよかったです。これで元の世界を取り戻せました。

改札口前の子ども

学校で、かばんから財布を取り出したらとなりの席の男子が、おっ黄色の財布と気が付いた。黄色の財布なんです、と見せびらかしたら、折るタイプのもはだめだねと言ってくる。お金は折られると苦しがるから、長いタイプの財布じゃなきゃだめだ、それも、本皮。レシートやカードも入れちゃだめ。そしたら、前の席のおやじ男子が、お札は下向きに入れなきゃねと言うから、そんなの知っているよと言ってやった。おやじ男子も財布を取り出して見せてくるけれど、レシートや紙切れやキーホルダーなどでパンパンなので、ぜんぜんだめじゃんととなりの席の男子がつっこんで、本皮の長いタイプの財布を見せびらかした。そもそも、わたしたちはみな無職である。(わたしは非常勤勤務してるけれど)。なぜ私たちにはお金が回ってこないのか、げんかつぎでは補えない欠陥が私たちにはあるのか。わたしたち無職だねと言ったら、黙り込んで、彼らはうんと言った。わたしは折るタイプの財布を折りたたまないで、お金が苦しくないように開いた形のままかばんにしまった。
駅の改札口でOさんを待っていた。改札口付近を眺めて、ぼんやりとしていた。視界に男の子が横切って入って来て、口を開けているのを見て大声で泣いているのに今更気がついた。かなきり声で何か言っている。親を呼んでいるようだけれど、お母さんなのかお父さんなのか、どちらを呼んでいるのかは判別できない。駅員さんがやってきて、男の子の頭をなでながら話しかけた。駅員さんは笑っていて、どうしたの、ぼうや、ははは、という感じだ。ぼうやは泣き止まず、親を探して首を回し、向こうから母親が笑いながらやってきたのを見つけて、急いで抱きつきに走った。母親は駅員さんと目を合わせ会釈をした後、はははと笑いながら、ホームに降りていった。子どもはもう泣き止んで、うわのそらで手をつないで一緒に行ってしまった。あの時、子どもは必死だった。死に際みたいな泣き声で叫んでいたのに、大人は笑っていた。母親を少し見失うことなど他愛もない大人と、母親が目の前から消えてしまう恐怖を感じる子どもと、わたしは違う場所から眺めていて、5分くらいでみんないなくなってしまった。

運勢を味方にするために

お金がないので、げんを担ぐことにしました。なけなしのお金で、黄色い財布を新しく買いました。ありったけのお金を財布に入れてその状態を財布に覚えさせるというげん担ぎで、金持ちそうな芸能人がそろって言っていたので、メモして残しておいたのです。それなのに、買った帰り、Oさんが財布の入った紙袋を落として、横にいた私がちょうど蹴ってしまいました。私は青ざめて、Oさんを怒ったら、言い訳をしました。一回落とせばもう落とさなくてすむよとか、ぜんぜんピンとこないので余計腹が立ちました。わたしがむきになるもんだから、そのうちOさんもあきれて、世の中の大半はげんでできていないよ、と言いました。わたしは、それはそうだと思って、納得しました。でも、とりあえず、家に帰って今月分の給料全てと家にあったお金全部を財布に入れて、神棚がなかったので、山縣君のパワースポットを撮った写真が飾ってあるので神棚の代わりにして立てかけて、お願いをしました。他にも、身なりを清潔にきちんとすると仕事の運勢があがると、松浦弥太郎さんが書いていたので、Oさんの服も買いました。なんだか、それを着たOさんが新品ぽく見えたので、嬉しくなりました。ぜひ、お金が稼げるようになりたいものです。どれもバーゲンで買ったので、効果が半減しないか心配です。でも、やはり弥太郎さんが、値段じゃない清潔感だ(きちんとしているかだ)と書いていたので、大丈夫なはずです。そのわりに、弥太郎さんのお店の商品は大体が何割りか増しで高いので、価値があるものは高くてもいいという価値観が彼の中にあるのだと思います。何割かましで売れるなら、その付加価値をつけるプロデュース力はすごいなと思います。回りまわって、弥太郎さんにあやかって、清潔感があってきちんとしていると思わせる様な身なりをしたほうがやはりいいのかもしれません。げん担ぎだか、社会人マナーだかよくわからなくなりました。

職業訓練校で

ヒグマさんが子を生む。(友人が子を生む。)今日の夕日が綺麗だった、って言っていた。わたしは気が付かなかった。
今日の朝5時に目が覚めた。Oさんが窓を閉め忘れて寝たので、白いカーテンは揺れて、朝日はまだ昇り始めで、外も部屋も薄暗い青色だった。台所の電気はつけっぱなしで、給湯の電源ランプも点いたままだった。Oさんは青白い顔で眠っていた。ベランダに出て風に当たった。カーテン代わりに上着がたくさんかかっている窓から、たくさんのダンボールの箱が見える家の、電気が点いていた。わたしが気がついたのは、今日の朝5時は綺麗だったってことだ。
平日の昼間、職業訓練校に通っている。となりの女の子は、たばこを吸う穴場を教えてくれた。穴場には、同じクラスの女の子が何人もいて、授業の愚痴を言っていた。穴場を教えてくれた女の子は、何になりたいかの話しをしたあと、なんのタイミングもなくひとりで教室に戻って行った。わたしは、反射的に後についって行ったけど、別に付いて行く必要はないのかと思った。エレベーターの中で、やっぱりその子も授業の愚痴を言った。昼休み、たれ目の女の子に話しかけられた。一緒に、駅向こうのコーヒーショップに入って、カメラの話しをした。わたしがカメラ屋で働いていたことを覚えていたみたいだ。マニアックな趣味が欲しいと言っていた。その子が教室で、いろんな子と話しているのをよく見かけた。眠そうな目をした女の子と帰りの電車に乗った。写真家にならないのかと言う質問は、面倒くさい。看護婦をなぜ辞めたのか、みたいなもので、聞いた本人が納得するような答えを話してあげれば、本当はどうなのかは大事じゃないみたいだ。勝手に納得する。なぞが解けたと勝手に思うみたいだ。そんなわけないじゃん、とわたしは思うけど、そう思う人は、少ない気がする。いろんな人がいるのは面白いものだと家に帰って思った。たいていの人が自分を客観視していなくて、そういう人はなぜかキャラクターに見えるもんだなと思った。