幸福とはいったいなにをさすのだろうか。

yoshimura-tomoko2009-02-11



今、編入学を目指す彼女と、元々彼女の独り住まいだった世田谷のアパートで同居している。彼女は、予備校にも通わず、晴れた日も雨の日もひたすらいかにも退屈そうな論文と格闘する毎日を送っている。お台場のホテルでやっていたクロークのアルバイトも最初の試験の三ヶ月前から辞めた。化粧をして街に繰り出したり、友だちとお茶をする機会もめっきり減った。だが、最初と次に受けた試験に落ち、受験勉強をする時間が長引いた。大学へ受かっておけば何もかも順風満帆であったはずである。事態は暗転してしまっている。


初めて出会った頃の色気もすっかり失せ、彼女は時に内から来る負の感情にもがき、私もこの狭い間取りでは傍観するわけもいかない。私も彼女もこの部屋の掃除が得意な方だとはとてもいえない。先日二子玉川まで自転車に乗って義理の姉に会いにいった時に薄着が原因だったのか彼女は風邪を引いてしまった。


季節は冬だ。ただ、帰り際にたまたま通った主も知らぬ軒先に白い梅が花を咲かせていた。


昨日、雨と予想していた天気が一転晴れ渡った。午前中に今日は図書館に行こうと二人で決め、その前に私の用で桜新町の銀行へ振り込みにいった。銀行と道を挟んだところのマクドナルドに2席だけオープンテラスがあった。話題のどでかいハンバーガーのセットとコーヒーを頼んで、日のよく当った左側のテーブルに座って、日本の社会システムと私たちの小さく、大きな将来について長々と話した。まだまだ未定の結婚像と子どもについて、家について、高等教育について、話は及んだ。前いつの日か話した時より具体性を帯びた私たちの関係は、社会性を欲しているのだろうかと予感したが、そんなのはどうだっていい気がした。


私は今幸せである。私はいつからか、こう明言する事に恥ずかしさを覚えなくなった。あと2ヶ月で5年目に入る東京での日常。


彼女もそう思っているはずである。私と同じ心境であるはずである。


どことなく不安な表情の中にも。楽しそうに笑う表情の中にも。